90年代に人気を博したバラエティー番組「ボキャブラ天国」で、“地獄のスナフキン”の愛称で親しまれたギター芸人・金谷ヒデユキさん(52)。
爆笑問題やネプチューン、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)など多くの人気芸人を輩出した同番組で、歯に衣着せぬ毒舌替え歌で笑いを誘った。
さて、今どうしているのか。
■声優としてのキャリアは12年
金谷さんに会ったのは東京・新宿の喫茶室ルノアール。
マネジャーも誰も伴わず、トレードマークの帽子をかぶって、フラリと一人でやって来た。取材中も終始ニコニコ、笑顔を絶やさない。
「声優の仕事は事務所を通してます。お笑いや映画、歌の活動は直接やりとりしたほうが早いので、事務所に許可をもらって個人でやってるんです。
テレビの出演依頼も、ディレクターさんの連絡先を聞いて直接話してます」
現在は「お笑い」「音楽」「声優」の3つの仕事を掛け持ち中。
お笑いは一時封印していたが、2016年冬に漫才協会へ入会し、活動を再開した。
「舞台に上がり始めたのは昨年のお正月からです。今でもギター芸をやらせてもらってますよ」
声優業は、05年に人気ゲームシリーズ「龍が如く」に出演したのを機に、
アニメ「けいおん!!」や「きかんしゃトーマス」といった有名作にも出演する人気ぶり。
昨年出演した「笑ゥせぇるすまんNEW」では、鉄道オタクのサラリーマン・加米良鉄也を演じ、「声優生命をかけました」と明*。
「喪黒福造に『ドーン!!』をされてダメになっちゃうシーンでは、大声を出しすぎてのどが壊れちゃいました。
その後のセリフは声がボロボロで。うるさいので、放送では音量を絞られちゃいました」
声優としてのキャリアを12年積み重ね、いまやベテランの域に。オーディションで勝ち取る仕事も少なくないが、
「いまだに芸能人枠だと思われることがあります」と、こう漏らす。
「やっぱり、偏見はありますね。それはしょうがないです。良くも悪くも、何も言われないよりは言われた方がいいと思ってますから。平気です」
■稼ぎは当時とそんなに変わらない
さて、群馬県安中市出身の金谷さんは、高校卒業後にお笑い芸人を目指す。しかし、右も左も分からず、イチかバチか新人コント大会に挑戦。
「左右の脇毛を赤白に塗り分け、昭和の歌番組『紅白歌のベストテン』のオープニング曲
“真っ赤な太陽に~、ぽっかり白い雲~”っていう歌に合わせて脇を振ったら、ドスベリしました。ハハハ」
芸に危機感を覚え、実家にしまっていた2万円のモーリスのギターを引っ張り出し、歌ネタを考え始めた。
「中学時代にFのコードが押さえられなくて諦めたんですけど、押さえやすいコードを見つけて『いける!』ってなりまして。
まともに弾けないうちから、音を出してオリジナル曲を作ったりしました」
歌ネタを武器に、20代後半からテレビに出始め、90年代に「ボキャブラ天国」に出演して脚光を浴びるようになった。
ボキャブラ時代は「月収200万円、年収およそ2000万円」とテレビで告白していた金谷さん。
「成功してない」と謙遜しながらも、現在の稼ぎは「そんなに変わらない」という。
一発屋芸人も多い中、長く活躍する秘訣は?
「お笑いを捨てて音楽に専念した時、ぶっちゃけ失敗しました。そこで『声優をやらないか』って誘われて今に至ってます。
結局、人の求めに応えるのが自分はうれしいんだなと最近思っていて、何かお願いされたら、なるべく断らずに『いいよ、やるよ』っていうスタンスを取ってます」
今後の目標は?
「最近は世間のムードが暗いから、それを何とかブチ壊したいという思いは強いです。だから、とにかくふざけたいですね、ハハハ!」
日刊ゲンダイ
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【芸人】 “ボキャ天芸人”金谷ヒデユキが売れっ子声優に
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